『ホワット・ライズ・ビニース』ロバート・ゼメキス監督来日記者会見
●10月18日(水)ホテル・オークラ別館メイプルルームにて
●出席者:ロバート・ゼメキス監督
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【挨拶】

■ロバート・ゼメキス: また日本に招かれる機会を与えられまして大変嬉しく思います。いつも日本に来るのを大変楽しみにしておりまして嬉しく思っておりました。みなさん、この映画をお楽しみいただけましたでしょうか。是非、楽しんでいただきたいと思っております。ありがとうございました。

【質疑応答】

◆質問: 早速お伺いしたいのは、なぜ、ハリソン・フォードさんとミシェル・ファイファーさんを起用されたのか(ということなのですが)、それをお聞かせ願えないでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): このふたり、ハリソン・フォードとミシェル・ファイファーは、私が最初から欲しいと思っておりましたふたりです。この物語がうまく映画化された時には、やはり、スーパースターがいないとこの話はうまくいかないという意味でも必要でしたし、今まで2人の映画をご覧になった方々は分かる通り、今までと全然違う役をしているという、その辺もお客様方には面白いのではないかということでこの2人になりました。

◆質問: この映画はとても怖いんですけれども、その怖さの要因の1つに、「家」そのものの怖さがあると思うのですが、それはかつての『サイコ』のベイツモーテルだとか、『シャイニング』のホテルだとか、そのくらいの存在感なのですが、それはかなり意識されたのでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): まさにおっしゃる通りで、この「家」は、この映画の中で重要な役割を担っているわけで、プロダクション・デザイナーとも話し合ったところです。この「家」は、登場人物と同じくらいの意味を持っているわけですよね。デザインそのものは難しくなかったんですが、このストーリーが持っているもののメタファーであるわけです。この家は、一見見たところ綺麗で、パーフェクトな家に見えるわけです。ところが、照明の撮り方によって、このパーフェクトな家に陰が見えてくる。不吉なものが現れてくる。それが、この映画では、家もそれをあらわしている。カメラを少しずらしたりすると全然違う面が出てくる。ですから、この映画は両面を持っている。壁の色なども、物語の進行と共に、ほんの僅かですが変わっていく。さまざまな工夫をして、「家」が映画のメタファーになるように工夫したんです。

◆質問: 最初の質問に戻りますけれども、ハリソン・フォードさんとミシェル・ファイファーさんと現場で一緒に仕事をされて、印象に残った出来事ですとか、何かありましたら教えて下さい。

■(ロバート・ゼメキス): まあ、この2人の方は大変なプロフェッショナルな方なので、問題があったとか難しかったということはなくて、全てスムーズにいって、エピソード的なことはあまりないんですけれども。ただ、1つドキッとしましたのは、この撮影の数週間前に、ミシェル・ファイファーに「私、水が恐いの」って言われたんですね。彼女が水が恐くてはこの映画は成り立たないので、困ったと思ったんですが、彼女は、幸いにも、スキューバーのトレーニングをしてくれるということで、スキューバーの基本的なトレーニングをしました。トレーナーがついて、プールの底でマスクをして座れるくらいは水に馴染んだんです。それで、この映画を撮ることが出来たので。まあ、エピソードはそれくらいでしょうか。ハリソンに関しましては、湖に飛び込むシーンがあるんですが、あの湖は凄く冷たいんです。ですから、ハリソンに「スタントマンを使おうか?」って言ったら、自分でやると言ってくれたんです。そのかわり1回しかやらないって(笑)。カメラを一杯配置しまして、絶対ミスショットは撮らないように、万全の体勢を整えまして、1回でOKになりました。でもあれは、本当に彼が飛び込んだんです。水のことで言いますと、あれはプールの中で撮影があったんです。ミシェルは、「もっと水を温かくして」と。ハリソンは「もっと水温を下げろ」という矛盾がありまして、これは大変でしたけれども、レディファーストなんで、水温は高めにして撮りました。

◆質問: 一般的なことをお尋ねしたいんですけれども、最近のゼメキスさんの映画は大人の映画になってきたように思うんですね。以前の映画は、子供が、(そして)家族が楽しめる100%独創的なエンターテインメントだったと思うのですが、何か心境の変化(があったのか)、意図的なものなのか。あるいは、これから昔の作品に戻ってもらえるのかどうか。その辺をお聞きしたいのですが。

■(ロバート・ゼメキス): 監督に対する質問で、なぜこういう傾向のものになったのかって聞かれる質問が一番難しいんです。私が撮ってきた過去の作品は残っている。で、大人っぽくなったと言うのは、あまり信じたくはないけれど悲しい真実で、私自身も大人になったので、作品もそういうものになったのではないだろうか。監督も、人生を積んで経験を重ねれば、映画の内容が大人っぽくなっていくのはしようがないことです。それから私は、監督として俳優を扱う立場で、ティーンはとてもやりにくい。子供も大人もいいのだけれど、ティーンエイジャーはやりにくい。それはもう結構という心境になっているんです。で、ファミリー映画も撮りたいと思いますけれども、私は、次に何を撮るかという予定を立てません。その時に撮りたいものに取りかかります。自分で路線を引いているわけではないので、やりたいものを撮っていくというような予定です。

◆質問: この作品は、アメリカで凄く当たっているのですが、監督自身は、そのヒットの要因は何だというふうに考えていらっしゃいますか。また、今、ティーンエイジャーはちょっとというふうに言われたんですが、彼らも見に来なければこれだけのヒットにはならなかったと思うのですが、観客としてのティーンエイジャーも嫌いですか? それと、ヒットに関して、このタイトル“ホワット・ライズ・ビニース”もかなりのポイントになっているのではないかと思うのですが、これは当初からそうだったんでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): ティーンエイジャーのオーディエンスは大歓迎です(会場笑)。確かにこの映画がヒットしたのは、ティーンエイジャーが会場に足を運んでくれたからということがあると思います。私は、この映画は、最初から若い人たちにうけると信じていたんですけれども。周囲には、若い人たちが、中年カップルの離婚の危機を扱った、しかも、俳優もかなり年輩の俳優を使っている作品を観に行くわけがないじゃないかという懐疑的な声もありました。でも、若い人たちは、君たち向けの映画だよと、見下された感じで言われることを一番嫌うわけです。そういう意味で、彼らはこの大人向きなものに飛びついてくれまして、若い人がたくさん来てくれた。でも、私自身は、自分が作る映画を、この年代(向け)というような括り方をしません。自分が作るべきだと思ったものを作るだけで、ターゲットを絞ったりはしません。現実として、この映画に若い人たちが来てくれてヒットしたということはあると思います。


◆質問: 監督の作品はいつもヒットするのですが、それは、特殊なマーケティング方や特殊な超能力とか(そういったものに依るところが)あるんですか?

■(ロバート・ゼメキス): 自分の映画がなぜ当たるかということはまったく分かりませんで、時々、怖くなります。別に私は、マジックを持っているわけでもなければ、処方箋を持っているわけでもない。ただ、ひとつ言えますことは、自分が何かを撮る時に、自分自身に問いかけることがふたつあります。ひとつは、この映画を作って、私自身が観たいかということ、(そしてもうひとつは)他の人たちも見に来たいかということ。このふたつにイエスだったら、その映画はかなり当たる可能性がある。タイトルは、シナリオの段階から付いていたものでして、パーフェクトな題名だと思い変えようと思ったことは一度もありませんでした。

◆質問: このサスペンス・スリラーは、何からインスピレーションを受けたのでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): 過去の映画史上の怖い作品は、すべて私のインスピレーションになっていまして、『サイコ』、『悪魔のような女』、ウィリアム・キャッスルのホラー映画とか、昔から怖い映画は大好きで、この映画は、過去の怖い映画へのオマージュです。特に、ヒッチコックへのオマージュとして作った映画です。

◆質問: 今、怖い映画へのオマージュというお話が出たんですけれども、監督は幽霊の存在を信じるんでしょうか。たとえば、見た経験などがあったりするんでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): 私は、信じるとも言えないし信じないとも言えない。どっちつかずの感じです。自分自身は、幽霊を見たとか、一切そういった怖い経験はありません

◆質問: 近年のサイコホラーやサイコスリラーのムーブメントについてどう思われるかということが一点と、それから、監督にとって恐怖の本質とはなんであるかという抽象的な質問ですが。

■(ロバート・ゼメキス): 最近のホラーやサイコ映画の傾向ですが、理由はよく分かりませんが、最近のそういう映画は、ティーンエイジャー向けの低予算の映画が多いわけです。血みどろの場面が多くある“スラッシャー・フィルム”が多くなっている。私は、この映画で、昔ながらのクラシックな怖い映画を若い観客たちに見せて上げたかった。ヒッチコックを頂点とするそういったジャンルの怖さというのは、血みどろの場面からくるのではなくて、心理からくるんです。決してビジュアルだけのものではない。感情から来るのです。人間の中から怖さが出てくるというのがクラシックな作り方なので、今回は、この昔に戻った路線でやりたいと思ったんです。恐怖の本質ですが、見ている人がどういったことで恐怖感を覚えるかというと、完全に、感情的に映画の中に巻き込まれた時に恐怖というものを感じる。それは、美しいものも、笑いも、悲しむものも、憧れを描いた映画、全ては、そのキャラクターの気持ちになるのですね。その段階に来ますと、見ている人の「知」と「感情」が入れ替わってしまうわけです。だから、お客さんが映画館で映画を観ていて、知的には「僕は安全なんだ」とわかっていても、本当に怖い気持ちになってしまうんです。ですから、いい映画というのはそういう転換をさせてしまう。頭で考えることを忘れて、お客さんを巻き込んでしまう力を持った映画というのが、本当の恐怖を知らせる映画ではないかと思います。

●司会者: 時々現れるサブリミナルみたいなものも、ちゃんと計算なさったわけですよね。

■(ロバート・ゼメキス): 無意識化の恐怖を出すために、もの凄くカメラを工夫してあります。「こちらに何かがあるぞ」、「襲われるぞ」というカメラの移動をしたり、物語の進行と共に、カメラの位置がどんどん下がっていくわけです。下から見るというのがまた、恐怖を呼び起こすわけですよね。カメラのアングルで、無意識に恐怖を呼び起こすという方法も大変駆使しております。

●司会者: それ、パーフェクトでした。

■(ロバート・ゼメキス): (笑い)

◆質問: ふたつ質問があるのですが、まず、この映画を撮影するにあたって、特殊効果が一杯使われていますけれども、技術的に一番難しかったシーンはどのシーンなのでしょう。それと、映画の中に、ヒッチコック監督へのオマージュが随所に感じられたのですが、ヒッチコック監督についてはどのように思われていますか。

■(ロバート・ゼメキス): ビジュアルエフェクト的には、そう難しいことはなくて、きっちりプランニングしていれば、時間はかかりますけれども問題ない。で、一番難しいのは、水の中にカメラも俳優も入るということ。これは大変難しいわけです。これは、俳優は、呼吸を止めながら芝居をしなければならない。カメラマンも呼吸を止めてカメラを操作しなければならない。車が沈んでいく場面は、現場は非常に緊張しました。水が嫌いという役者もいましたし、水の中の撮影が一番大変でした。ヒッチコックは、この手の映画の中で本当にマスター、大先生であります。彼は、映画作りの言語を作った人でもあると思います。彼は、そういう技術を駆使して、そういったストーリーを語ることが大変うまかった人だと思います。で、彼は、素晴らしい映画を作りましたけれども、全てがストーリーを語ることの道具であるということを理解して、さまざま駆使して私たちに物語を見せてくれたマスターだと思います。

◆質問: まだ一度も使ったことのない俳優で、今度は使いたいと思っていらっしゃる俳優はどなたでしょう。

■(ロバート・ゼメキス): 確かに今、興味深い俳優さんたちはたくさんいますけれども、名前を挙げることは出来ません。ただ、私はキャスティングする時は、まず、シナリオありきです。大変素晴らしい俳優さんがたくさん居まして、彼らの仕事をたくさんみさせてもらっていますけれども、あの俳優のために何かを考えるというアプローチは間違っている。私はいつも、シナリオを読んで、これならば誰がいいのかと考える。私はそういうアプローチが正しいと思います。


●司会者: 他の国では、この人がいて、シナリオを考えるというのもありますよね。

■(ロバート・ゼメキス): 日本ですか?

●司会者: ピンポン(正解)です。

■(ロバート・ゼメキス): アメリカでもあります。(しかし)大抵そういう映画はこける。私は、昔よくプロデューサーに言われました。俳優には気をつけろ。俳優は、必ず自分のキャリアをダメにする役をやりたがるものだから、それに耳を貸しちゃいけないって。

◆質問: この作品は、本編はもちろんですが、予告編も苦労されたと思うのですが、アメリカの記事で、この作品の予告編では、勘のいいお客さんはこの映画の結末の予想がつくので、違う予告編だったらもっと興行収入があがったのではないかというのがあったのですが、その辺について何か。

■(ロバート・ゼメキス): 結果的にこの予告編のために客が減ったというのはないです。予告編を批判するのは、大抵マスコミの方なんです。で、マスコミの方は、非常に映画を見てらっしゃるので、この予告編は、内容を言い過ぎているとよくおっしゃるんですけれども、普通のお客さんは、時間をかけてキップを買って、お金を払って映画を見に行くわけですから、どんな映画かをある程度知りたい。普通のお客さんは、内容をある程度知りたいんです。だから、そのバランスが難しい。で、予告編というのは、お客さんをちょっとからかうんです。コソコソっと何かうずくものがあるのが予告編だと思うんです。ですから、この予告編でお客さんも来たわけで、この映画の予告編は、マーケティングの面からいってとても正しい予告編だったと思います。

◆質問: 今の確認なんですが、トレーラー(予告編)というのも、監督さんの権限でお作りになるものなんですか?

■(ロバート・ゼメキス): 予告編については、監督が承認を出しますけれども、予告編というのはまた特殊なもので、監督は作品に入れ込んでいて距離がとれないので、あまり適した人物ではない。ちゃんとプロのマーケティングの人のプロの判断が正しい場合があるので、作ってもらってもちろん意見はしますが、結果的には、マーケティングにあったものに関して彼らの方がいいものを作るので、私は承認をするだけです。映画を作りますと、観客に向けての試写というものをやるわけです。私は、その中で一回はマーケティングの人を連れていくんです。彼らは、客席の一番後ろに座って、お客さんの反応を見ながら映画を観ている。すると、一回見ただけで、マーケティングのプロの連中は、この映画はこうあるべきだというのを見分けるんです。お客さんの反応からマーケティングの方針を見つける。彼らはプロです。

◆質問: ポスターについて伺いたいんですが、この映画では、ミシェルとハリソンという二大スターを使っておきながら、顔がないポスターを使った。それには理由があったのでしょうか。

■(ロバート・ゼメキス): これでいいかどうかというのは、きりがない議論になっていくわけですが、これは、大変勇気があるデザインだと思いますね。まず、ミシェル・ファイファーとハリソン・フォードの顔を出してどうなりますか? ふたりの顔は世界中の人たちが知っているのですから、今さら出しても効果はない。人は、ポスターだけで映画を見に行くかというとそうではない。それは、一部で、トータルなマーケティングで判断するわけです。予告編を見たり、TVのスポットを見たり、インタビュー記事を読んだり、そういうトータルなもので自分に合うかどうか判断して見に行く。ポスターの役割というのは、その映画のトーンを見せる。そういうところからも、私はこのポスターはいいと思います。(後ろのパネルのポスターを指して)顔が薄くあるのとないのとどっちを使うの? 私は、ない方が勇気があっていいと思うよ。(顔のある方だと分かると)もちろんプロにお任せしますよ(笑)。まあ、そんな事を言いながらも、今度の私の次回作のポスターは、巨大なトム・ハンクスの顔です。でもその映画は、トム・ハンクスのキャラクターが重要な映画ですのでそうなりました。

●司会者: それは来年ですね。3月ですか。

■(ロバート・ゼメキス): ええ。
(通訳者の表現をもとに採録。細部の言い回しなどには若干の修正あり)


『ホワット・ライズ・ビニース』は2000年12月9日、日本劇場ほかにて公開。